〜アジア湿地探訪〜
第7回 中国人と湿地と文化−中国(1)


 5月の大型連休中、中国浙江省紹興市を訪れた。同市に「鏡湖(ジンフー)国家城市湿地公園」がオープンし、4月30日の開園記念イベントの基調講演者として招かれてのことだ。
 紹興市は、上海の南西およそ200`、長江下流のデルタ地帯に発達した古都で、春秋時代には越国の首都がおかれ、大小無数の池沼を結ぶ運河が網の目のように走る水郷として栄えた。良質の水と米が中国八大銘酒のひとつ紹興酒を産んだところだ。中国近代文学の祖、魯迅の故郷としても知られている。
 しかし、古い家並みと掘割りを保存する市街地中心部を除き、人口430万人の紹興市はいま、往年ののどかな田園都市ではなく、隣接する杭州市の急成長に歩調を合わせた、ハイテク工場と高層住宅ビル群の近代都市に変貌してしまった。
かつて田に水を、都に物資を運ぶ動脈だった運河網は自動車道路建設にとっては妨げでしかなく、数多くのコンクリートの架橋が上をおおった。水運の担い手だったこの地域独特の坐って足で漕ぐ「烏篷船(ウーポンチュエン)」もほとんど姿を消し、観光客用の遊覧船として命脈を保っているにすぎない。日本の名だたる水郷都市だった大阪や東京が半世紀前に歩んだ同じ轍を、この都市も踏もうとしているようだった。
 鏡湖はそんな紹興市の北部にある大きな池である。あたりには往年の水郷の面影がかろうじて残っていて、周辺の池沼群、運河、丘陵地などあわせて1660fが、中国政府建設省認定の都市型の湿地公園として数年かけて整備された。東京の日比谷公園のおよそ100倍の面積である。
 ヨシやマコモが自生する一画に住民が伝統の淡水漁業ができるゾーンを残した一方、水田を埋め立て、湖岸を築堤し、木道を設置し、盛り土の花壇に芝生や色とりどりの園芸花を咲かせ、植林をし、有料観光遊覧船を浮かべた。それぞれのゾーンはさまざまなデザインの木橋でつながれ、レストランや展望台があり、市民の休日の憩いの場としては格好の、いわば親水型のテーマパークふうに演出されている。巨額の建設費のほとんどは紹興市が負担したという。 
 オープニングイベントも鳴り物入りの豪華さだった。中央政府建設省の副大臣を筆頭に政府の役人、中国科学院の長老格研究者、大学教授、海外からもウェットランドインターナショナルやOXFAMなど国際NGO代表ら40人が招かれた。中国全土から主だった新聞テレビの報道関係者80人も招待されていた。
 全員を市内の高級ホテルに泊め、前夜の歓迎晩餐会、当日は午前中の開園記念式典と鏡湖遊覧船の進水クルーズ、昼の郷土料理の大昼餐会、午後の湿地専門家の記念講演会、夜の文化芸能大会と、盛りだくさんのプログラムが組まれ、おみやげには大理石の卓上記念モニュメントと豪華版の写真集が渡された。すべてスポンサーは紹興市である。私のような海外招待参加者には航空運賃はもちろん、3日間の上海〜杭州の市内観光がセットされ、なんと講演の謝金まで用意されていた。
 「旅費はともかく謝金まではもらえない」と辞退する私を、紹興市からの依頼でイベントをコーディネートしたウェットランドインターナショナル中国のチェン・ケリン代表はこう押しとどめた。「中国は変わりました。お金はあるんです。足りないのはソフト面です。その知識を専門家として提供してくれた人への謝礼は当然です」

●中国の湿地視察団、日本へ
 「日本の湿地センターを視察したい。どこがいいか」という相談がアジアの国々からラムサールセンターに舞いこむようになったのは、1990年代後半からである。当初は韓国からが多かった。距離が近いせいもあるのか、「来週行くからよろしく」などと突然の連絡が入り、あわてたことも少なくない。
 韓国からの視察団はたいてい政府や地方自治体の役人と研究者、メディアの混成部隊で、行く先々で映像記録を撮り、あとで1本のテレビドキュメンタリー番組が誕生するケースが多かった。メディアがスポンサーとなって視察団を派遣し、大学の先生や役人はコメンテーターとして登場するという役まわりらしい。
 関西なら琵琶湖か大阪湾南港野鳥公園を、関東なら東京港野鳥公園、葛西臨海公園、谷津干潟などを、北海道では釧路湿原や霧多布湿原周辺の施設を紹介し、現地との連絡やインタビューの手配、ガイドの配置、ときには自ら案内役となった。もちろん手弁当である。
 中国からの視察団を初めて受け入れたのは2003年夏、南京市の一行だった。市の中央を流れる長江支流に河岸湿地公園をつくるため、日本の先進事例を視察したいというので、九州から北海道まで2週間の視察プログラムをつくり、ビザの取得から交通機関、宿泊場所、通訳、ガイドの手配まで全面的に協力した。コーディネーター役のウェットランドインターナショナル中国のスタッフ以外は南京市の役人が来日するという話だったが、実際にやってきたのは市から湿地公園の基本計画づくりを請け負ったコンサル系企業の人たちだった。といっても中国の場合は多くの企業が国営みたいなものだから境界線はあいまいだ。すでに米国とシンガポールの視察を経験し、日本は3国めだという流暢な英語をあやつる垢抜けた一行で、予算節約のために2人1部屋のツインルームを予約しておいたのに、追加料金をはらってそれぞれシングルにするなど、資金的にゆとりのある様子がうかがえた。
 以後、ラムサールセンターでは毎年何組かの中国からの湿地公園視察を受け入れてきた。これは私たちのところだけの話だ。団体旅行ビザの取得が簡単になったこともあって、もっと多くの湿地視察団が日本を訪れているのは間違いないだろう。
 アジアの人たちが、日本の湿地管理の手法やビジターセンターの建設、運営から学ぼうとしてくれるのはうれしいことだ。これまでの視察協力で私たちは、施設の立派さやハイテクを駆使した視聴覚展示機材などいわゆるハード面だけでなく、センターを拠点に行われている普及啓発・環境教育プログラムや、学校の総合教育との連携や、市民参加の実際など、中身のソフト面にもっと関心をもってもらいたいと気を配ってきた。どこの国からの視察団への対応でも、その点は変わりない。とはいえ、こちらの配慮や意図も、受け手側の条件や感性の個性によって、すんなり伝わるとは限らない。
 今回の中国行きで私は、鏡湖国家城市湿地公園だけでなく、お隣の杭州市が中国政府環境省の認可を得て、同様の都市型湿地公園として昨秋オープンした西渓(シーシー)湿地公園(1064f)も視察してきた。ここもかつての水郷地帯を都市公園ふうに整備したものだ。実は私たちは1年前に、杭州市政府の湿地公園視察に協力していて、琵琶湖、谷津干潟、釧路湿原ツアーを手配していた。その経験がどう生かされ、どう適応されたかを確認するいい機会だったからだ。紹興市の鏡湖湿地公園が建設省の所管なのに対して、西渓湿地公園は環境省の所管である点にも興味があった。

●次々と生れるテーマパーク型湿地公園
 結果的にはふたつの湿地公園は、とてもよく似ていた。木道の設置の仕方、水辺の植林、あずまやの設計、橋の架け方、ライトアップ、遊覧船、伝統音楽のBGM・・・・・・など全体の配置からデザイン、ふんいきまで、まるで双子の兄弟のような湿地テーマパークに仕上がっていた。
 同じような景観とふんいきは、やはり今回訪れた紹興市の蘭亭や東湖、杭州市の有名な西湖など歴史的観光名所の湿地公園にも共通していた。
そこで、気がついたことがあった。どこもみんな、北京にある頤和園(イーハーユェン)に似ているのである。西太后の離宮として創造され、世界文化遺産に指定されている名園である。中国人にとって理想の湿地公園モデルは、おそらくこの頤和園なのだろう。
 頤和園は人工的修景の粋ともいえる庭園だが、ほんものの湿地生態系資源を基礎に持っている鏡湖や西渓湿地でさえ、頤和園ふうの修景に集約されていくのはなぜなのだろう。そうでなければ大衆がよろこばないという切実な条件があるのだろうか。
 自然の形を人工的に変え、支配するのは、万里の長城を例にあげるまでもなく、おそらく中国の「文化」である。国際的にセンセーションを巻き起こした三峡ダムの建設も、水不足の解消のため長江を黄河につけかえるという大胆な発想も、この国ではあたりまえのことなのだ。
 急激にすすむ経済発展と工業化とうらはらに進む自然破壊のうめあわせに、中国各地でいま、都市型湿地公園計画が急ピッチで進められている。ローカル「頤和園」が、これからも各地につぎつぎ生まれていくに違いない。中国の都市公園に、あるがままの生態系保全の概念が浸透するまでには、いましばらく時間がかかりそうである。
 日本がいま自然再生法に基づき、壊してしまった湿地生態系の回復になみなみならぬ努力をしている教訓を、どう伝えたらいいのだろうか。


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