〜アジア湿地探訪〜
第4回 湿地と人々のつながりの再生


 湿地と人々のつながりの再生

 滋賀県大津市で1月28〜29日、15カ国800人が参加し「国際湿地再生シンポジウム」(滋賀県、環境省、国交省、ラムサールセンターほかによる実行委員会主催)が開催された。100を超す発表と討論を経て、「湿地再生琵琶湖宣言」が採択され、成功裏に終了した。
 「湿地再生」をテーマにしたこれだけの規模のシンポジウムは世界でも初めてだろう。主催者の予想を超える反響があったばかりか、昨年11月の第9回ラムサール条約締約国会議(COP9)後すぐという時宜のよさ、「再生」や「創造」という一歩ふみこんだ保全のあり方を論議した点でも、湿地保全の流れを変える画期的な会議だった。

●湿地生態系の回復は世界的課題
 地球生態系の変化が人間生活や環境に与える影響や対策についての科学的情報の提供を目的に、国連環境計画(UNEP)はじめ多くの国際機関・政府が協力して実施している「ミレニアム生態系評価」が、2005年10月に発表した「湿地統合レポート」によれば、現存する世界の湿地生態系はおよそ13億へクタールで、これは米国の面積の1.3倍、ブラジルの半分に匹敵するという。

会議風景。
 広大な面積に感じるかもしれないが、北米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドでは20世紀だけで50%以上の湿地生態系が失われたとされ、アジアやアフリカなど開発途上地域でも、急速に劣化、消失がすすんでいる。
 湿地は、地球でもっとも生物多様性が豊かで生物生産性の高い生態系のひとつであり、食糧や飲み水の供給、国土保全、自然災害の緩和、心と体へやすらぎ、文化や伝統の保持など、人間にさまざまな恩恵やサービスを提供している。その半分を失ったということは、それだけのサービス機能を量質ともに享受できなくなったということで、世界的な水不足、水質汚染、旱魃や砂漠化、洪水、野生生物の減少や種の絶滅、飢餓や健康被害など、いま地球に起こっている多くの負の環境現象は、直接的間接的に湿地の劣化・消失と色濃くかかわっている。
いまある湿地を残すだけでは、現在はおろか未来の人間社会にとって必要なサービスが提供できない。失われた湿地生態系を積極的に回復し、再生しようという方向性は、そうした現実があって生まれてきた、新しい概念である。
●ヨーロッパで始まった湿地再生事業
 私がはじめて湿地の再生という概念にふれたのは、1990年のラムサールCOP4(スイス)である。デンマーク政府が大規模な湿地再生事業に乗り出した話をきき、大きな衝撃を受けた。デンマークではかつて、北海沿岸域の国策農地開発の一環で、湿原を蛇行して海にながれこんでいたスキャーン川を人工的に直線化し、一帯を乾燥化して牧草地にした。しかし、上流部の汚染が直接海に流れこんで漁業に悪影響がでるなどのマイナス面がめだったので、直線化した河川流路をふたたび蛇行させ、湿地を再生することに決めたというのだ。

現在、滋賀県で大々的な再生に取り組もうとしている。あたら数エクスカーションの風景。説明しているのは、早崎内湖再生協議会の倉橋義廣さん
 当時は日本では、八郎潟や仏沼などの大干拓事業が完了、または進行中で、宍道湖・中海の干拓・淡水化、千歳川放水路開削などの大規模な湿地「開発」が計画されていた。北海道の釧路湿原などでも、湿原の周囲から流れ込む蛇行した川を直線化して農地にする事業が進められていた。その同じころにヨーロッパでは、一度は息の根をとめた湿地を回復し、再生する試みがはじまっていたのである。
欧米でも当時はまだ湿地保全は、現存する湿地をそのまま保護する、これ以上減らさないという取り組みが主流で、失った湿地の回復・再生は新しい試みだったから、この事業は 私だけでなく参加していた各国の専門家から注目された。
 ヨーロッパに始まった再生の動きは、その後、湿地再生を主要テーマとしたINTECOL WETLAND(92年米国・オハイオ、96年オーストラリア・パースなど)につながり、自然科学の側面からの「再生」への流れをつくってきた。
日本をふくめてアジアで「湿地再生」が表立って論議されるようになったのはずっと後である。欧米で湿地再生がいち早く叫ばれたのは、先進国ではアジアや他の開発途上国地域より早い時期に湿地破壊、消失、劣化がすすんだことの裏返しでもある。アジアの開発途上国には近年まで、まだ豊かな湿地生態系が残っていた。しかし、20世紀後半になって変化が生じた。人口増加、経済発展、工業化の波がアジアにおしよせ、たとえばタイやバングラデシュなどではマングローブ林を伐採して水田や塩田、エビ養殖場へ転換し、マレーシアなどでは熱帯湿地林をオイルパームの栽培地に変えるようなプロジェクトが急ピッチで進められるようになった。

●アジアでも新たな動き
 アジアの多くでは、湿地は人びとの生活の場そのものである。湿地の魚を取り、湿地の植物の実を食べ、湿地の水を飲み、湿地で洗濯し、水浴びをし、湿地林で家を建てたり燃料にし、水田で稲を育てる。湿地に浮かぶ舟が交通手段となり、住居となる。
そういう人びとにとって、湿地生態系が変化・消失し、サービス機能が享受できなくなることは、生活の場が失われ、生きていけなくなることと等しい。20世紀最大の環境破壊のひとつといわれるカザフスタンのアラル海(干上がって5分の1になった)の例をあげるまでもなく、湿地消失の影響は非常に激しく、劇的なかたちであらわれる。それだけに湿地の回復、再生への希求も激しく、「湿地の再生」はアジアでも大きな課題になってきている。
 国際湿地再生シンポジウムには中国、韓国、マレーシア、タイ、バングラデシュ、ネパール、インド、パキスタンなどからエントリーがあり、11のアジアの湿地に関する発表が行なわれた。これらの発表に共通していたのは、湿地の再生が、人々の暮らしとのかかわりのなかでとらえられていた点だ。
たとえばバングラデシュからは、国策としてのエビ養殖場開発のために壊滅状態になった南部のマングローブ林の復元事業が紹介されたが、そこで焦点があてられていたのは、マングローブ林を植林するという物理的再生事業よりも、マングローブを地域住民が自らの手で植え、育て、利用していくという行為を通じて、いったんは断ち切られてしまった沿岸湿地生態系と地域の人々とのかかわりを再構築する過程だった。
 マレーシアの事例では、インド洋大津波後、各国の支援でマングローブ林再生をふくむ沿岸湿地生態系回復事業が実施されているが、被災地にもともと住んでいた地元住民の意見や伝統的暮らしが十分に考慮されないため不満が続出し、難航していることが報告された。インドのチリカ湖の事例では、政府主導の工学的汽水湖再生事業と並行して、NGOの手で地元住民に対するきめ細かい環境教育と情報提供が展開され、その成果として住民に、チリカ湖の生態系保全に主体的に責任を持ってかかわろうとする意識革命がおきたことが報告された。
 基調講演をしたW・ミッチ博士(オハイオ州立大)は、最近の画期的な国際湿地再生プロジェクトとして、イラク・イラン国境にまたがるメソポタミア湿地の復元事業をあげた。
私がこれまで参加した米国、カナダ、オーストラリアなどで開催された湿地再生をテーマにした会議では、どちらかというと生態系回復や野生生物復帰の手法、水系や水循環のデザインや管理といった技術的側面に焦点があたり、人々とのかかわりの再生という視点は希薄だった。しかし、湿地再生の究極の目的は人間に対する湿地のサービス・恩恵の回復であるというラムサール条約の精神に立つとき、湿地と地域の人々との関係性は不可欠の要素である。それは湿地を生活の場として利用しているアジアにふさわしい再生の視点であり、生きた事例や経験、問いかけをもっとも多く発信できるのもアジアであろう。
日本にもいくつかの好例がある。
 私たちが、子どもたちを対象にした湿地キャンペーンに力を入れるのは、こう考えるからである。 新潟県のラムサール条約湿地「佐潟」は、日本海に沿った砂丘に形成された淡水湖で、むかしから周辺水田の灌漑用水として利用され、地元農家によって慣行的に水位や水質の管理、湖内の水草狩りや堆積土泥の除去を行なう「潟普請(がたぶしん)」などが実行されてきた。減反政策による休耕田の増加や宅地化と並行して佐潟をとりまく環境が変化し、農業用水としての役割が希薄になるにつれて、住民による管理が行われなくなり、土砂堆積による浅底化や水質汚染などの問題が生じた。しかし、変化してしまったライフスタイルのなかで、伝統的な「潟普請」だけを復活しようとしてもなじまない。
ところが1996年のラムサール条約登録で、佐潟が世界的に価値のある湿地だと認識されたことを契機に、現代の佐潟と住民との新しい結びつきを模索しようという気運が生まれ、地元住民の指導で市民、NGOらボランティアが湖の水草管理、清掃、浚渫などを行う佐潟クリーンアップ活動が継続的に行われるようになった。現代の「潟普請」の創造である。
 今回、湿地再生シンポジウムの舞台となった琵琶湖では、このシンポジウムを契機に、昭和の初期にくらべて9割近くが消失したといわれる内湖(ないこ)の復元・再生が、いよいよ本格的に動きだそうとしている。エクスカーションで訪れた早崎内湖では、地元の元漁師さんが、ニゴロブナがわき、内水面漁業がよみがえる内湖の再生をめざし、活発な活動を開始していた。
採択された「湿地再生琵琶湖宣言」(日・英)は、UNEPの協力でもっと多くの国の言葉に翻訳され、ウェブを通じて世界に発信されることになった。世界湖沼会議を立ち上げ、湖の水質汚染をくいとめるため、せっけん利用やヨシ原の再生に条例まで整備して全国に先駆けて取り組んできた滋賀県が、いままた湿地再生の旗手となろうとしている。
いま湿地をめぐる状況は、「劣化・消失させない」から「回復・再生へ」という大きな転換点を迎えた。


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