〜アジア湿地探訪〜
第3回 「子どもラムサール」と未来への期待


 昨年11月にウガンダで開催された第9回ラムサール条約締約国会議(COP9)は、初めてアフリカ大陸で開催された記念すべきCOPだったが、もうひとつ、条約史上初の画期的なできごとがあった。日本、韓国、タイ、インドから7人の子どもたちがCOPに公式参加し、開会式で、ウガンダの子どもたちとともに壇上に立ち、子どもたちの視点から湿地保全をアピールする次のような「子ども湿地宣言」をおこなったのである。
−みなさんの言葉は、科学的専門的すぎて子どもたちには理解できません。歌や踊りやドラマを使ってもっとわかりやすい情報にするのを手伝わせてください。
−湿地を保全する法律をもっと強化し、法律をつくるときに子どもたちの意見も聞いてください。
−こうした会議の結論の影響をもっとも受けるのは子どもたちであることを忘れないでください。私たちは会場のみなさんよりたぶん長生きするでしょうから、それだけ影響も大きいのです。
 率直で的確な宣言文を読みあげるアジアとアフリカの子どもたちに、世界各国の参加者は共感の笑顔と大きな拍手で応えた。
 COP9ではその後も会期中、地元ウガンダの中・高校生がバスを連ねて次々と会場を訪れ、引率の先生やNGOスタッフとともに芝生のオープンスペースで軽快なリズムの歌や踊りのパフォーマンスを披露したり、展示用テントの壁一面に湿地の絵や工作を掲示した。COPの会場にはいつも子どもたちの姿があった。こんなことはこれまでのCOPにはなかった光景である。

「子どもたちの姿は、われわれが大きな資金と労力と時間を投じて会議をおこなっている意味を、つねに思い出させてくれた。COP9は『チルドレンズCOP』でもあった」と、ブリッジウォーター条約事務局長は記者会見で語っていた。
国際子ども湿地交流
 このCOP9への子どもたちの参加は、ラムサールセンター(RCJ)が協賛イベント「COP9におけるアジア・アフリカ子ども湿地交流−子どもラムサール」(地球環境基金助成事業)として企画し、よびかけたものに、ウガンダ政府とラムサール事務局、それに地元のNGO「ネイチャーウガンダ」が応えてくれて実現したものだ。
 RCJでは、2002年度から「子どもと湿地」をテーマに、日本とアジアの子どもたちを対象とする普及啓発キャンペーンに力を入れてきた。2月2日の「世界湿地の日」からの1週間を「アジア湿地ウィーク」として、各地の湿地で子どもたちを対象にしたイベントを同時開催しようと、準備委員会を設け、ホームページなどを通じてよびかけた。同時に、日本・中国・韓国のラムサール条約湿地の子どもたちによる「日中韓子ども湿地交流」を開催した。
 第1回の「日中韓子ども湿地交流」は、2003年1月、千葉県習志野市の谷津干潟でおこなった。中国と韓国から各3人の小学生を日本に招き、谷津干潟に隣接する谷津南小学校の子どもたちと交流した。それぞれの地域の湿地や水鳥の情報を交換するワークショップの後、谷津南小のコンピューター室を借りて3カ国語のレポートを共同でつくった。
 第2回日中韓子ども湿地交流は、2004年1月、韓国慶尚南道のラムサール条約湿地ウーポ沼でおこなった。日本から釧路湿原(北海道)、谷津干潟(千葉)、琵琶湖(滋賀)、漫湖(沖縄)の子どもたち4人と、中国から3人が参加し、韓国の子どもたちもあわせて60人の国際交流となった。子どもたちはウーポ沼の近くの古い小学校の校舎を再利用した環境教育センターで合宿し、アジアの大きな地図をかこんで、それぞれのふるさとの湿地と人々の暮らしのようすの情報を交換しあった。もちろん韓国では初の試みだった。
 第3回は、中国江蘇省の大豊自然保護区で2004年12月におこなった。絶滅に瀕したシフゾウという湿地にすむシカの保護区で、ラムサール条約湿地である。シフゾウはかつて中国に広く分布していたが、英国の統治時代に狩猟・捕獲され、野生の個体は絶滅した。しかし、英国の動物園で飼育されていた個体が中国に再移入され、野生への復帰を実現した。シフゾウは中国の湿地再生のシンボルとなった。このときは日本から3人(釧路湿原、琵琶湖、漫湖)、韓国から5人、中国国内からは洞庭湖やマカオからも10数人の参加があり、地元の大豊第四中学校あげての歓迎を受け、総勢100人の大交流イベントとなった。
 この子ども湿地交流は、2005年2月には日本、中国、韓国の三国の枠をこえ、アジアの3つのラグーン(潟湖・汽水湖)、サロマ湖(北海道)、ソンクラ湖(タイ)、チリカ湖(インド)の子どもたちが、チリカ湖のほとりで出会う「子どもラグーン交流」へと発展し、COP9の「アジア・アフリカ子ども湿地交流−子どもラムサール」へとつながった。
「COP9子どもラムサール」に参加したアジアからの7人の子どもたちは、濤沸湖(北海道)から松井佑真(18歳)、琵琶湖(滋賀)から山本賢樹(10歳)、中海(島根・鳥取)から樋口翔一(16歳)、漫湖(沖縄)から高良海舟(12歳)の4人、さらに韓国の洛東江からジュー・ホギョン(10歳)、タイのタレノイ湖からチャンサック・ブアバン(13歳)、インドのチリカ湖からスリヤ・パトナイク(12歳)。
 現地のパートナーは首都カンパラに本部をおくNGO、ネイチャーウガンダで、そのコーディネートで
11月8日、カンパラのレインボーインターナショナルスクールの校庭にカンパラ近郊の中・高校生代表200人が集い、アジアの子どもたちを迎えてのワークショップが実現した。長旅と時差でふらふらになりながらもアジアの子どもたちは、ウガンダの子どもたちといっしょに発表、討論、そしてCOP9の開会式への「子ども湿地宣言」づくりに取り組んだ。できあがった宣言を大きな紙に書き、壇上で読み上げる子、パネルを掲げる子などの役割分担を決め、何度もリハーサルをして、夕方6時の開会式にそなえた。
 そして子どもたちの協働パフォーマンスは、世界の政府代表、NGOなどに強いインパクトを与え、ラムサール条約の普及啓発の歴史に新しいアクターを誕生させたのである。

なぜ、子どもたちなのか
 
私たちが、子どもたちを対象にした湿地キャンペーンに力を入れるのは、こう考えるからである。
 アジア地域にラムサール条約締約国と登録湿地が拡大しつつあることは、前回紹介したとおりである。しかし、政府の取り組みが前進し、NGO活動が活発になっても、湿地の周辺に暮らす地元の人々の保全意識はそう簡単には深化しない。広大な地理的ひろがり、膨大な人口、民俗、宗教、言語、文化の多様性というアジアの特性は、国際協力を前提とする地球環境保全についての意識高揚には、おおきな障壁となっている。
 ラムサール条約は、国境を越えて渡る水鳥を湿地保全のシンボルとすることで、こうした国際的障壁を乗り越えようとし、これまでは大きな成果をあげてきた。しかし、地球の水資源枯渇の危機が深刻になり、水利用をめぐっての国際紛争が現実になっている現在、「水鳥の生息地として重要だから」というスローガンに頼って国際的協調をめざすことの限界性もみえている。条約が国際的に重要な湿地の登録基準を、水鳥だけでなく魚類や他の動植物種に拡充し、

さらに文化的価値にも着目しようとしている背景にはこうした事情がある。
 アジア地域全体に広がり、深化できるキャンペーンを展開するとき、「水鳥」以外にもみんなが納得し、賛成し、思いをひとつにできるキーワードはないだろうか。RCJではアジア会員を中心に何回も会議を開き、この点を話し合ってきた。そして、結論としてたどりついたのが「子どもたち」だった。
 子どもたちは地球の「現在」を生き、いまの地球環境の良いところも悪いところも享受しなければならない。そして、未来の地球からもさまざまな影響を受けざるを得ない存在である。もちろん、地球の未来の責任も負わなければならない。「持続可能性」を身をもって体現しているのである。だからできるだけ早く、正しい知識と情報を子どもたちに伝え、国際協力についての感性と理解を育む必要がある。私たちはそう考え、「子どもと湿地」キャンペーンをスタートさせた。
 子どもたちを対象にした国際活動を開始するには、さまざまな課題、心配もあった。いちばん気がかりだったのは、言葉も文化も生活スタイルも違う子どもたちどうしのコミュニケーションは本当に可能なのか、という点だった。しかし、それは杞憂に終わった。参加した子どもたちは、日本でも韓国でも、中国、インド、そしてウガンダでも、異国の湿地や生きものたちに目を輝かせ、お国料理を楽しみ、片言の英語と身振り手振りで友達になった。そして、次のような感想を述べている。
「湿地の環境は異なっても、かかえている環境問題は同じ。その環境をどう守っていかなければならないかという問題はどこでもいっしょだ」「言葉はわからなくとも、なにかを伝えたいという気持ちがあれば、相手に伝えることができて、友達になれる」「自然をたいせつにしようと思う心、言葉が違ってもお互いを思いやる心は、みんな同じ」「これからも世界の子どもたちといっしょに世界の環境問題を考え、よりよい環境をつくっていきたい」。
 来年度から地球環境基金の支援は切れるが、RCJではこの「子ども湿地交流」をこれからもなんとか継続していきたいと願っている。日中韓子ども湿地交流は幸い、中国のNGO「ウェットランドインターナショナル中国」によって引き継がれ、昨年は黒龍江省の札竜で実現、今年は甘粛省の蘭州での開催が計画されている。夢は、アジアのすべてのラムサール条約湿地の子どもたちを結ぶことである。「子ども湿地交流」に参加した子どもたちが、やがて社会でどういうおとなに育ってくれるのか、楽しみである。


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