〜アジア湿地探訪〜
第1回 釧路から慶尚南道へ


 環境省は10月、新たに20カ所の湿地をラムサール条約に登録すると発表した。ウガンダで11月8日から開催の第9回ラムサール条約締約国会議(COP9)で正式に登録が承認された。

日本のラムサール条約湿地、33カ所に
 これまで13カ所だった日本のラムサール条約湿地は33カ所になり、中国の30湿地を抜いて、アジアで最多登録国になった。
 ラムサール条約は、地球規模で消失しつつある湿地の保全と賢明な利用を目的に、1971年にイランのラムサール市で採択された国際湿地条約である。日本は1980年に加入し、条約の規定する「国際的に重要な湿地リスト」に、北海道の釧路湿原を第1号として登録した。
その後、1985年に伊豆沼・内沼(宮城)、89年にクッチャロ湖(北海道)、91年にウトナイ湖(北海道)を追加登録。

93年、釧路市で第5回ラムサール条約締約国会議(COP5)を開催したときに厚岸湖・別寒辺牛湿原、霧多布湿原(以上北海道)、谷津干潟(千葉)、片野鴨池(石川)、琵琶湖(滋賀)を追加した。以降、96年に佐潟(新潟)、99年漫湖(沖縄)、2002年宮島沼(北海道)、藤前干潟(愛知)と締約国会議のたびに登録を積みあげてきた。
 それが、今回は一気に20カ所の湿地が追加された。これは日本の湿地保護史上、画期的なことである。数がふえただけなく、これまで日本が抱えていた二つの課題を克服したからである。

日本の豊かな生物多様性を反映
 第一は、水鳥の生息地への偏在の克服である。
 日本のこれまでのラムサール条約湿地は、ガン、カモ、ハクチョウ、シギやチドリなど、渡りをする水鳥の生息地として重要な湿地が中心だった。ラムサール条約が湿地を保全するシンボルとして水鳥を掲げてきたこと、そして日本が湿地登録の条件として鳥獣保護法を法的担保としてきたからだった。しかし、水鳥にばかり焦点があたる結果、湿地の持つもっと多様な価値や機能に目が向けられにくいという限界があった。ラムサール条約が、水鳥保護を目的とする条約だと誤解される遠因ともなってきた。
 しかし新しい20カ所の登録湿地には、別表に示したようにアカウミガメの産卵地、マングローブ林、サンゴ礁、鍾乳洞、浅海の藻場、そして尾瀬や奥日光のような日本でもっとも親しまれている山岳湿原など、水鳥とはあまり関係のない多様なタイプの湿地が含まれている。こうした湿地の多様な生態系の価値を評価し、登録したことは私たち関係者にとっても大きな驚きだった。環境省の大胆な方針転換、快挙といってよい。
 第二は、地域的偏在の解消だ。
 これまでのラムサール条約湿地の配置は、北海道に6か所、東北1、関東2、中部・近畿3、沖縄1と、極端な東高西低だった。それがこんどは、紀伊半島の串本海岸、中国地方の中海、宍道湖、秋吉台、九州のくじゅう坊がツル、藺牟田池、屋久島、沖縄の慶良間、石垣島へと広がった。四国をのぞき、全国まんべんなくラムサール条約湿地が連なった。全体として、亜熱帯から亜寒帯まで細長く連なる諸島国である日本の豊かな生物多様性を反映したラインアップが実現した。これによって、これまで関心のうすかった西日本地域の湿地の価値と、ラムサール条約への認識が高まることが期待される。
 日本は、ラムサール湿地最多登録国としてだけでなく、さまざまなタイプの湿地を登録したという点でも、アジアにおける湿地保全のリーダーとしての面目をみごとに保ったといえる。

アジアにおけるラムサール条約の普及
 2005年9月現在のデータで、ラムサール条約の締約国は146カ国、ラムサール湿地は1459カ所、面積にしておよそ1億2540万ヘクタールである。このうちアジアの締約国は26カ国、ラムサール湿地は160、面積は9860万ヘクタールである。
 1993年、釧路市でCOP5が開催されたときの締約国は80カ国で、登録湿地は648、面積は4342万ヘクタール。うちアジアは11カ国、ラムサール湿地は54、面積250万ヘクタールだった。12年間でアジアの締約国は2倍以上に、湿地数は3倍、面積は4倍になった。これは世界平均の増加率を大きくうわまわる数字である。
 アジア地域に効果的に条約が普及した要因のひとつは、1993年の釧路市で開催されたCOP5効果である。アジアで初めて開催されたこの締約国会議は、欧米先進国主導で誕生したラムサール条約をアジアの途上国に普及させる戦略的意義をもち、狙いどおりの効果をあげたのである。
 ラムサール湿地登録を加速させたもうひとつの要因は、1999年のCOP7(コスタリカ)で採択された決議である。当時917だったラムサール条約湿地を6年後のCOP9(2005年)までに倍増し、2000湿地をめざそうという方針だった。これをうけて各国はこぞってラムサール湿地をふやし、アジアでも99年以降、たとえば中国が14、インドが13、パキスタンが11、タイが9、マレーシアが3カ所を新たに登録した。日本の今回の20の追加登録もこの決議に応えたものだ。
 目標として掲げた2000湿地達成こそ適わなかったが、日本をはじめ各国はかなりがんばった。単純でわかりやすい目標を設定し、湿地保全の推進を促したラムサール条約の戦略の勝利でもある。

登録はゴールではない
 ラムサール条約は締約国に、ラムサール条約湿地であるなしにかかわらず、すべての湿地の保全と賢明な利用を求めている。賢明な利用とは、「生態系の自然特性を変化させないような方法で、人間のために湿地を持続的に利用することである」と原則を定義してもいる。
 しかし、具体的なガイドラインや数値目標、罰則規定などはなく、湿地をどのように賢明に利用し持続可能な管理を実現するかは、締約国にまかされている。

 湿地は、流域や、周辺の環境影響を受けて常に変化していく宿命をもつ自然生態系だ。その持続可能な維持管理はたやすい課題ではない。
 ラムサール条約には、生態系が悪化しつつあるラムサール条約湿地をリストアップし、保全管理をうながす「モントルーレコード」がある。現在57の湿地がこれに記載されている。これにはアジアの湿地が11含まれている。つまり、生態系が危機的なラムサール条約湿地の2割近くが、アジアにある。
 ラムサール条約締約国やラムサール湿地が少なかった時代は、締約国とラムサール湿地の数の増加が、条約の普及度を示すわかりやすい指標だった。しかし、一定の普及が実現し、登録湿地の数がふえたいま、いよいよそれぞれのラムサール湿地の保全と賢明な利用の具体的な実現、いわば質に目を向ける段階となったといえよう。
 ラムサール条約湿地でありながら保全・利用計画がないもの、あっても机上の計画にとどまり実施がともなわないもの、実施にあたってラムサール条約がもっともたいせつな要件としている住民参加がないがしろにされている例など、アジアの湿地は多くの課題を抱えている。日本も例外ではない。
 アジアは広く、自然環境はもちろん多様な民族、言語、宗教、政治、文化を抱えている。宗主国支配の時代も含め、大小の戦乱を繰り返してきた歴史がある。経済発展段階にも差があり、人々が国境を越えて自由に交流できる環境はまだ限られている。
 しかし、湿原、河川、湖沼、水田、マングローブ林、干潟、サンゴ礁などの湿地生態系は、アジアの膨大な人口を支える重要な資源、共通基盤のひとつである。アジアの人々の多くは、湿地で暮しているのである。湿地は人々の生命線ともいえる存在である。そしてアジアの湿地は、国際河川と密接な関係を有しており、その保全には、国際協力が不可欠となっている。
 
ラムサールの風
 ラムサール条約の次回締約国会議(COP10)は、2008年に韓国で開催されることになった。
 ラムサールCOPは3年ごとに開催され、そのつど次回開催国を決めるが、今回、次期開催候補国として正式に名乗りをあげたのは韓国政府のみだった。開催地は慶尚南道の昌原市と発表された。
 93年に北海道釧路市で第5回ラムサール条約会議が開かれてから15年、東アジアにふたたびラムサールの風が吹こうとしている。
 この間、日本とアジアの湿地に何が起こり、何が変わり、私たちはどこに向かおうとしているのか。この稿で1年間をかけて見直してみたい。

登録湿地一覧/タイプとスター・特色

名蔵アンパル(沖縄) 河口干潟、マングローブ林 オヒルギ、カンムリワシ、イシガキヌマエビ、ヤエヤマガニ

慶良間諸島海域(沖縄) サンゴ礁 造礁サンゴ、ミドリイシサンゴ、サンゴ礁魚類

漫湖(沖縄) 河口湖、干潟(泥質) シギ・チドリ類、クロツラヘラサギ、ムナグロ、ハマシギ
屋久島永田浜(鹿児島) 砂質海岸(砂浜) アカウミガメ
藺牟田池(鹿児島) 淡水湖、低層湿原 ベッコウトンボ、泥炭形成植物群落
くじゅう坊ガツル(大分) 中間湿原 ヌマガヤ群落、ヨシ群落、オオミズゴケ
秋吉台地下水系(山口) 地下水系、鍾乳洞 ホラアナミジンニナ、キクガシラコウモリ、アキヨシシロアヤトビムシ
宍道湖(島根) 汽水湖 ヤマトシジミ、コハクチョウ、ガン・カモ類、嫁ヶ島の夕景
中海(島根・鳥取) 汽水湖 コハクチョウ、ガン・カモ類/淡水化反対運動
10 串本沿岸海域(和歌山) サンゴ群落 オオナガレハナサンゴ、クシハタミドリイシ、キクメイシ類
11 琵琶湖(滋賀) 淡水湖 古代湖沼、生物多様性、ヨシ群落、固有種
12 三方五湖(福井) 塩水、汽水、淡水湖 ハス、タモロコ、イチモンジタナゴ、ナガブナ
13 片野鴨池(石川) 淡水池、水田 ガン・カモ類、トモエガモ/坂網猟
14 藤前干潟(愛知) 河口干潟 シギ・チドリ類、/ゴミ埋め立て反対運動
15 谷津干潟(千葉) 干潟 シギ・チドリ類/都市に残された貴重な湿地、ゴミ清掃
16 奥日光の湿原(栃木) 淡水湖、高層・中層湿原 ヌマガヤ、ワタスゲ、アヤメ、ノハナショウブ、アズマシャクナゲ
17 尾瀬(群馬・新潟・福島) 淡水湖、高層湿原 ミズバショウ、ホロムイスゲ、ツルコケモモ、ワタスゲ
18 佐潟(新潟) 淡水湖 コハクチョウ、マガン、ヒシクイ、オニバス/潟普請
19 蕪栗沼・周辺水田(宮城) 淡水湖、水田 マガン、ヒシクイ、水田(冬みず田んぼ)
20 伊豆沼・内沼(宮城) 淡水湖 マガン、ヒシクイ、オオハクチョウ、コハクチョウ、マコモ植栽
21 仏沼(青森) 干拓地 オオセッカ、コジュリン、ハッチョウトンボ、カラカネイトトンボ
22 ウトナイ湖(北海道) 淡水湖 ガン・カモ類、ハクチョウ類
23 宮島沼(〃) 淡水湖 マガン、ヒシクイ/ハクチョウの鉛中毒
24 雨竜沼(〃) 山岳湿原(中間・高層) 池塘、ヌマガヤ、ミズゴケ、ホロムイスゲ、エゾルリイトトンボ
25 釧路湿原(〃) 泥炭湿原 タンチョウ、シマフクロウ、イトウ、クシロハナシノブ
26 厚岸湖・別寒辺牛湿原(〃) 汽水湖、塩湿地、河川 原生的湿原景観、タンチョウ、オオハクチョウ/漁業の賢明な利用、アッケシソウ
27 霧多布湿原(〃) 泥炭湿原、汽水湖 イワノガリヤス、ワタスゲ、エゾカンゾウ、タンチョウ、エコツーリズム
28 風蓮湖・春国岱(〃) 汽水湖、泥炭地 湿地林、タンチョウ、シギ・チドリ類、オジロワシ、エゾシカ
29 阿寒湖(〃) 淡水湖 マリモ、タンチョウ、シギ・チドリ類、前田一歩園
30 野付半島・野付湾(〃) 浅海域、塩湿地 アマモ場、ホッカイシマエビ、打たせ舟、トドワラ
31 濤沸湖(〃) 汽水湖、塩湿地 小清水原生花園、コハクチョウ
32 クッチャロ湖(〃) 淡水湖 コハクチョウ、オジロワシ、オオワシ、渡り鳥の玄関
33 サロベツ原野(〃) 淡水湖、泥炭湿原、塩湿地 平地の最大高層湿原、湿原植物群落


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