インド東部“チリカ湖&ビタカニカ湿地”訪問記

亀山保(会員)

 2015年3月3日~3月11日にかけて、RCJメンバー(学生6名を含む)計10名で現地の活動プロジェクト地を訪問した。かなり厳しい、駆け足のスケジュールだったが、全員体調を崩すことなく帰国した。 インド東部、オディッサ州(オリヤ語、旧称はオリッサ州)のベンガル湾沿岸地域にはラムサール登録湿地が2か所(チリカ湖、ビタカニカ湿地)あり、RCJでは20年以上前から、現地のNGO“パリシュリ”(Pallishree, 現地オリア語で「美しい村」の意)との協力関係で様々なプロジェクトに関わってきた。今年スタートしたトヨタ環境活動助成プログラム(2年間)のキックオフミーティングと進行中の他の事業の視察を兼ねて、今回多くの村々を訪問。日本の旅行ガイドにもほとんど記されていない地域での見聞でもあり、ここに報告する。



ビタカニカ湿地&周辺地域
 パリシュリの活動拠点、オディッサ州の州都、ブバネシュワル(Bhubaneshwar)から車で4~5時間、そこは刈り取りの終わった田んぼが見渡す限り続く、田園地帯。たくさんの稲わらの山、わら屋根で土壁の家々、のんびり歩く牛たち、ほとんど見かけないプラスティック製品・・・と、一見美しい田園風景です。我々の宿は最近できたテント張りのリゾート風の施設。そこを拠点に2日半、動き回った。

 訪れた村では、川岸の土手の浸食で村が後退している、井戸が少ない、飲み水の質が悪化(汽水化)している、雨季には子供が学校へ通えない・・・など、厳しい現実への声を聞くことができた。
 一帯は、支流が扇状に広がる大河、マハナディ河(Mahanadi, 858km, インドで7番目の長さ)下流域にあたり、昔から川のコントロールに苦しんでいる低湿地帯で、雨季には洪水が起きる。さらに一昨年秋、ベンガル湾からは大型のサイクロン、ファイリンが襲来し、大きな被害が発生。
 パリシュリはこれらの村々に、防災や暮らしなど様々に役立つ樹木を植え、住民の自助努力と合わせて生活が持続可能なものとなるように活動を行っている。護岸に役立つマングローブ、食糧になるバナナ・マンゴ・チリ、燃料ともなる成長の早い木、薬に使える木、木陰となる木・・・、さらに村の中には、将来の植樹のための苗床も作っている。そしてこれらの活動を村の自発的な女性グループ(Self Help Group:SHG)などと一緒に進めている。
 他に、村のコミュニティの中心である学校の庭にも生徒たちと一緒に学校林を植え、次世代への環境教育も行っている。近年、学校林には植林してその後の世話もする子どもの名前つきの札がそれぞれの木に付けられるようになった。
 ラジガタ(Rajgada)村の学校林で、私たちもその木の名札(上段は木の名前、下段は植えた子供の名前)を見ることができたが、これは「緑の募金公募事業」「インド国ビタカニカ湿地の森林再生および持続可能な開発のための環境教育の推進」で実施したプロジェクトで、子供たちにより愛着心を持ってもらいたいという、岩崎慎平さん(今回のメンバーの一人)の提案から始まったもの。
 ラジナガル(Rajnagar)中学校では全校生徒による歓迎行事の後、それぞれ自分の木の横に立ってもらい、その思いを聞くという機会も得られた。
 また、チャリポカリア村(Charipokharia)の小学校では、学校林見学中に、校庭の池の上空でホバリングするヤマセミが目の前で2度も池にダイブするという大サービスも。日本では深山幽谷の鳥、ヤマセミがここでは普通に田園の鳥だった。




 ダキナベダ村(Dakhinabeda, 85世帯)では、川の中に残された小さな島のところまでが村の土地だったと聞き、近年の川岸の土壌浸食のすさまじさを実感することができた。また、用水路から村への通路に、ワニを防御する竹製の柵が張られていた。ワニが怖いと話す子どもの声もあったが、実際村人の脅威だという。洪水などでワニの生息地が拡散し、ビタカニカ地域では年間10人がワニの犠牲になっているという(ただし政府の政策はワニ保護)。ここでは地球環境基金「気候変動影響が深刻化するインド・ビタカニカ沿岸低地帯における適応能力の育成と適応コミュニティづくり」のプロジェクトで、CEAEが設置され、自然環境の保全と気候変動および防災に関するアウェアネスおよび植林活動が実施されていた。なおこの事業は3年間実施し今年で終了となる。



 今年からトヨタの活動が始まるバダコラ村(Badakolla,114世帯)では、SHG(3グループ、36人)リーダーから、抱えている問題は沢山あること、同時に今回のプロジェクトへの大きな期待の声も聞くことができた。子どもたちも積極的に発言、また日本からの学生たちも全員発言。夕方5時半から始まった集会は暗くなってお互いの顔が見えなくなった後まで続いた。
 今回、ベンガル湾の対岸で活動するバングラデシュのNGO「バングラデシュポーシュ」からも2人が初参加した。2人は抱えている問題の多くが共通していて、参考になることが多々あると話していたが、我々には2人のベンガル語がオリア語の村人に直接通じた(7~8割わかるという)ことに驚きが・・・。改めて地理的な近さとそのつながりを見る思いだった。



ビタカニカ湿地(2002年ラムサール登録)
 ビタカニカ湿地の広さは650㎢(琵琶湖と同じくらい)、マングローブ林では55種を確認(ただし現在は減少、インド全体では58種)、ヒメウミガメの産卵では世界一の場所という生物多様性の豊かな所で、森林局が厳格に管理。  しかし、その周辺地はかつてベンガル移民の大量流入などもあり、約300の村があって、人口増加も進行中。そこに洪水や海面上昇、サイクロンの襲来など村の村立にもかかわる自然災害が起きている地域であり、パリシュリの活動の対象地となっている。  ボート&徒歩での見学中、沢山の野鳥は確認できたが、村人たちが恐れているというワニ(その保護施設がある)には残念ながらお目にかかれずだった。  入口ゲートで事前に用意したパスポートのコピーを提出したが、ビザのページの確認も必要といわれ、パスポートの実物を提出。厳しい入場制限の反映なのか、単なるお役所仕事だったのか。しかし見学後、宿に戻ってから、改めてビザのページのコピー提出が求められ、これは後者かも?という出来事もあった



チリカ湖とその周辺
 いったんブバネシュワルに戻った翌日、車(約3時間)でチリカ湖へ向かい、初日はボートと車、翌日は車で、湖周辺の村々を回った。前日までの田園風景から一転して漁村の風景だが、チリカ湖はマハナディ河の西側の支流ともつながっている位置関係にある。

チリカ湖(1981年ラムサール登録)
 広さ1055㎢(平均、琵琶湖の約1.6倍)、ただし水深(平均)が1.4mと浅く、ベンガル湾ともつながった汽水湖。インドがラムサール条約に加盟した1981年に登録された最初の登録湿地の一つ。多様な魚類や鳥類など豊かな生物多様性で知られ、観光客も多い。  しかし、堆積する土砂などでベンガル湾との湖口部が砂でふさがれて湖の水質が悪化し、1990年代に入り漁獲量が大幅に減少し、沿岸住民の暮らしが困窮。2000年に新たな湖口を人工的に開削したことで本来の汽水が戻り、漁獲量も復活。その先導役のチリカ開発公社がラムサール湿地賞を受賞した、という成功談は広く知られている。RCJも日本のサロマ湖での新湖口開削体験を伝えるなど、この当時から長年チリカ湖とつながってきたという経緯がある。

 ボートで、パリシュリのマングローブ植林の現場を横目に見ながら、チリカ湖を渡る。
 チョダチョリ村(約150世帯)は、チリカ湖とベンガル湾との間の幅2キロくらいの砂州に粗末な家々が並ぶ漁民の村で、トヨタプロジェクト対象の村の一つ。ベンガル湾で獲れた魚の干物を売って暮らしている。学校がなく子供の教育ができない、飲み水の確保が厳しい、病気の時は遠くの町まで行かねばならない、ファイリンの時はボート・家など全てが壊された・・・など厳しい暮らしぶりが語られる(皆でお金を出しあって、先生を雇い、非公式に勉強を教えてもらっているともいう)。今年から湖の中の無人島に、この村の人たちの手で植樹が開始されることになった。
 砂州を歩いてベンガル湾へ。海には漁をする多くの船の姿があったが、浜辺にはたくさんのヒメウミガメの死がいが点々と並んでいた。3月までウミガメの産卵の季節で、上陸のため海岸近くに集まってきているが、それがトロール網に引っ掛かって犠牲となり、浜に打ち上げられたものだという。何ともショッキングな光景を見た。




 チリカ湖には20万人の漁民が暮らし、周辺には40万人が暮らしているという(ちなみに日本全国の漁民は40万人)。大勢の人がチリカ湖の豊かな生物資源に依存して暮らしている。しかし、広いチリカ湖の一部を渡っただけだが、実に多くの魚網、魚の仕掛けを見かけた。また水路では、幅全部を使った囲い込み式の仕掛け網がいくつも見られた。さらに網目が規制よりも細かい一網打尽タイプも多く使われているという。汽水湖では、湖で育った稚魚が海へ自由に行き来することでその豊かさが保たれるが、漁民人口の急激な増大を背景に、目先の漁獲を優先した過剰な漁業が進行しているのではないか、と危惧が増す。
 そんなことをフェリー船上で考えていると、前方の水面にイルカの愛嬌のある頭部が見えた。観光の目玉ともなっている、イラワジカワイルカである。ほんの一瞬だったが、うれしい歓迎だった。

 ゴパルプル村(Gopalpur)でトヨタプロジェクトのキックオフミーティングが開かれた。
 ここはサイクロン、ファイリンの正に上陸地点となったところだという。今回、ベンガル湾沿いの6つの河口域の村が対象地となるが、その沿岸部の距離は約300キロある。その6つの河口域から関係者が勢ぞろいし、活発な話し合いが行われた。気候変動に立ち向かう防災という観点からの植林に加えて、暮らしに役立つ「持続可能な生活林」としての植林を、住民たちの手で進めていこうというのが、今回のプロジェクトの趣旨である。この「持続可能な生活林」(Sustainable Life Forest)という考え方は大変好評であった。ユニークなプロジェクトで、住民の利益を考えているものであり、今後人々の協力も得やすいなど、参加者から力強い賛同の意見が多く出され,私たちもこのプロジェクトはうまく行くという確信のようなものが持てる会合であった。




 会場には、Sustainable Life Forestの標語(以下)を大きく掲げたポスターが貼られていた。
 “Sustainable Life Forest does not produce wood only, but it is a natural ideal-friend, philosopher and guide of the human kind.”

 最後に、訪れたのは新ポドンペタ村(New Podompeta, 現在102世帯、将来は約150世帯)。
 ベンガル湾に面した漁村、ポドンペタ村は年々海岸の浸食で村が後退していたが、さらにファイリンの被害で村の一部は消失、政府は被災した村の移転を決定した。その移住先の一つが、今回トヨタプロジェクトの対象地となった新ポドンペタ村である。
 建物はまだ建設中だが、仮住まいですでに多くの人たちが住んでいる。今は雑然としたこの集落の周辺、中庭、通路などに、住民の協力(SHG)で、アカシア・マンゴ・バナナなどを植え、苗床もつくる計画である。
 日が落ちて暗くなり、1~2年後にここがどのように変わっているか、見たいと思いながら現場を去った。




 田園地帯、漁村、その集落や学校を訪ね、話し合い交流をして回った。ここに紹介できなかった訪問地も沢山ある。
 オディッサ州は、経済的にはインドの中でも貧しい地域だという。確かに経済発展しているという姿はあまり見られないかもしれない。しかし、私たちはそこに自然と共生し、懸命に循環型の暮らしをしている人々の姿を見た。その暮らしを壊すものが、洪水や高潮、サイクロンなどで、こうした災害にここでの暮らしは極めてぜい弱である。
 私たちの活動が少しでもこうした人々の暮らしを支える一助となることを願いつつ、現地を後にした。大人数の我々の訪問を見事にアレンジして案内してくれたパリシュリのDruga Prasad Dash代表に感謝しつつ・・・、チリカ湖の日の出の写真で終わる。



(参加メンバー)RCJ:川嶋宗継、中村玲子、亀山保、岩崎慎平、田辺篤志、山本賢樹、大谷慧、吾郷諒華、松下美希、佐藤湧馬/バングラデシュポーシュ:Sanowar Hossain, Asaduzzaman Miah/ネパール湿地協会:Bishunu Bhandari
 
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